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イノヤマランドの紹介記事やインタビューなどをここに保存します。






Jules PeterさんがDreamburger名義で執筆しているブログに細野晴臣さんとイノヤマランドについての詳細な考察記事が掲載されています。Jules Peterさんの許可を頂き、フランス語の原文https://dreamburger.blog/inoyama-land-terre-de-reveries-solitaires/を翻訳して転載しました。


夢の島々 イノヤマランド 再浮上

 高田みどり『鏡の向こう側』、清水靖晃『案山子』のリイシューに続いてスイスのレーベルWRWTFWWによるイノヤマランドの野心的ファーストアルバム『ダンジンダン・ポジドン』の復刻がこの3月に予定されている。それはさまざまな点において先駆者であったこのアルバムに再び浸ってみるいい機会である。

 1980年代、日本人ヴォーカリスト/ベーシスト/プロデューサー細野晴臣は自ら名付けた「観光音楽」というアイディアを熟成させていた。はっぴいえんどの中核メンバーであったことととりわけ日本のテクノ・ポップのパイオニアだったイエロー・マジック・オーケストラでの中心的な役割において国際的な規模で知られていた細野は、クリエーターと受け手が音楽的旅行者であることを相互認識させうる音楽創造と音楽鑑賞の様式を模索していた。それは個人的な解釈を通して異国の風景や文化を感化しあうということだった。

 20世紀の初頭に「室内装飾音楽」と称されたアンビエント音楽の先駆者であるフランスの作曲家エリック・サティーに倣って、細野がその観光音楽をどの程度まで真剣に探究していたのかを知ることは難しい。当然のことながら、この何にでも手を出す作曲家の作品は、時折楽園風景の滑稽さをも颯爽とした演奏で仕上げてしまうという巧妙なパロディ風のセンスで響くこともある。この観光音楽というアイディアは、1980年代の地球規模での旅行ブームの拡がり、そして「ワールド・ミュージック」の流行を見るにつけ、この地球上で他の場所に比べて静かで大気に恵まれているどこそこの場所という集団的な想像力から育まれ発展したものと理解できる。その点において、細野の音楽は ― その風刺を込めたエキゾティズムはアルバム『ハライソ』(1978年アルファ)に初めて登場する ― 皮肉なことに、後年の音楽産業メジャーレーベルによるいわゆる「ワールド・ミュージック」という良心の呵責もない文化搾取を予兆するものとなった。

 それと平行して細野は、ワールド・ミュージックの出現と日本におけるエコ・トゥーリズムの萌芽に乗じて、アンビエント音楽にエコロジーの要素を吹き込んだ。しかしこの地球規模での音楽性というアイディアは、単にエコロジー意識の目覚めを示す兆候だっただけではない。それはとりわけ細野の地球的規模の地平を一望したいという意志と、日本における高度成長期の日本的アイデンティティーの不安定化と日本の地方部と都市部の避けがたい変容を過去のものにしたいという意志のあらわれであった。

 それを知るならば、1977年に東京で結成された即興集団ヒカシューから出た二人のメンバーによる牧歌的フレスコ画のような音楽が、細野の耳まで届いたということは何ら驚くべきことではない。井上誠と山下康という捉えどころのない二人がイノヤマランドを結成した。二人の苗字から取った“イノヤマ”の“土地(ランド)”は、想像と現実の間に失われた神話的な場所を想わせる名前であるが、40年近くにわたって今日も活動を続ける音楽プロジェクトである。細野に招かれ一緒にアルバムを録音することになり、この出会いがファーストアルバム『ダンジンダン・ポジドン』を産み、1983年YENレーベルからリリースされた。この東京西部のユニットの唯一の「古典」と称され、長年コレクターたちに渇望されていたこのアルバムは、年々高まるこの二人のミュージシャンのサウンド・コンセプトへの評価を予告するものだった。特定の場所のために考案され作曲された、われわれの精神的かつ現実的な遍歴のサウンドトラックの創造者として、彼らは数年後日本のいわゆる「環境音楽」の最も栄誉ある代表者となることが運命づけられたのである。

 インストゥルメンタル『ダンジンダン・ポジドン』が放つ沈静をもたらす単純性は、細野が提唱した観光音楽の思想に完璧に同調するものだった。ドイツ的な音調をたたえた波打つニューエイジ・バレエ曲「ヴァッサー」から、アブストラクトな「コレクティング・ネット」、田園的な笛の「ポン」など、アルバムは反復が多くアンビエントなシンセサイザーの様々なモチーフを探訪する。それに加え、細野自身が考案した「ウォーター・ディレイ・システム」は「ポカラ」「グラスチャイム」「ミズエ」といった曲のサウンドコンセプトを援助した。3台のスピーカー(ゴム外装で防水されている)を水槽の中に浸けるというシステムで、音は水の比重によってディレイされ、それをマイクで録音したものとオリジナルの音を混ぜ合わせることによって音楽が水のディメンションを付与され、イノヤマランドの海底洞窟の中に潜水していくような効果を得られる。

 繊細な聴覚の探究者たる井上と山下はこの未開の大地に新しい道を切り開き、好奇心をそそり魅惑する日本列島の沖に浮かぶ無人島(とその島が匿っている動物相)の絵はがきを描く。田舎の空気と水の流れと自然を喚起するこの音楽的彷徨は、都会人たちにとって単なるデペイズマン(ものや人を本来のコンテクストから異なる環境に移すこと)だけをかきたてるのではない。いくつかの曲における幾何学的な優美さと電子楽器の使用は、近代的世界の建築や活動をも描き出す。アルバムジャケットを飾る宝探しの地図にも似た天気図のイメージに見えるのは、伸長することを夢見る人間は、それを取り巻く世界と調和的に融合していかなければならず、その環境を変化させ動揺させる大気変動ともうまく調整することを学ばなければならないということだ。

《日本海の沖に浮かぶ無人島から届いたアンビエントな旅便り。トンボ、イカ、カメ、クジャク等が、クローバーの草原、杉林、リンゴ樹林に囲まれて生息し、周囲にある水と地下にある水がもたらす希望あふれる柔和な調和に導かれていく… 》 ローリッツ・ボーディッシュ(No Obi, No Insert)

 彼らの同僚である広瀬豊や吉村弘(彼とイノヤマランドは横浜国際総合競技場のための環境音を共同で制作した)の作品群と同じように、この『ダンジダン・ポジドン』は40年近く経った今でもなお当時の画期性を完全に保存していることは、強調するに値する。ある時代の地味な証拠品であったが、今や機は熟した。この新規のアナログLP発売(日本国外で初めて)は絶好のタイミングである。現在まで中古盤市場でも手が届かなかったこのアルバムは、日本の復刻盤ブームによってそのエッセンシャルな幾多の名盤が再び日の目を見た中でも、見落とされたロストピースであった。イノヤマランドの風変わりな宇宙への入門編として最適なのが、彼らのあまり世に知られていない環境音楽作品を精選したアンソロジー『コミッションズ 1977 - 2000』(Empire of Signs 2019)であり、その未来を見事に予兆している。

文:Jules Peter

翻訳:向風 三郎






Commissions: 1977-2000


Commissionsの解説から、FOREWORDとQ & Aを翻訳しました。

FOREWORD 序文

 1970年代後期、テクノポップグループ・ヒカシューに参加していた井上誠と山下康のユニット・イノヤマランドは、40年を経た今も作曲、ライブ等音楽活動を続けている。二人の苗字を詰め込んだ"イノヤマ ”ランド” は、想像の神話的空間と現実世界の間に浮かび、インスタレーション、固有の空間のための音響デザイン、芝居の音楽とアルバムリリースにとどまる事なく、その活動範囲を拡張して来た。1983年、細野晴臣のプロデュースによるアルバム『ダンジンダン・ポジドン』がリリースされ、この後に彼らは不動産バブルの好景気下にあった東京に出芽した環境音楽ビジネスに与するようになる。サウンド・プロセス・デザイン(1983年に悲劇的な死を遂げる前の芦川聡が設立した音響コンサルティング会社)との共同作業は、美しく鳴るシンセサイザー、牧歌的な色合い、子ども時代の記憶、—ダンジンダン・ポジドンで初めて世に出た彼らの音世界− を映し出すものであり、遠く、エモーショナルな響きを含んでいる。本コンピレーションにはクレセント・レーベル、永田一直の主宰するトランソニック・レコード、そして自主制作のCD-Rからの曲が抜粋された。井上と山下の特異な音楽的アイデンティティが、異種の環境でどのような音楽を形作るか、そのプロセスを垣間見る窓となるだろう。ここに収録した楽曲は「感覚ミュージアム(宮城県)」、「変形菌展(国立科学博物館・東京)、リチャード・フォアマンによる実験的演劇作品「エジプトロジー」の日本版上演に向け制作されたものである。

マックス・オーガスト・クロイ&スペンサー・ドラン

Empire of Signs


井上誠と山下康へのQ & A

What kind of musical work occupied your time between Danzindan-Pojidon and your second release, the self-titled album on Cresent(1997)? There is quite a large gap between the two releases! And how did you become involved with Mr. Tanaka of Cresent and Sound Process Design?

『ダンジンダン-ポジドン』とCrescentのセカンド・アルバムの間には大きな時間的ギャップがありますが、この間、二人はどんな音楽活動をしていましたか?サウンドプロセスデザイン/Crescentの田中氏と仕事をするようになったきっかけは?

山下: Sound Process Design はそもそもアール・ヴィヴァン(ART VIVANT)のメンバーであった芦川聡、田中宗隆氏が独立して設立した組織です。サウンド・プロセス」というアイディアは会社組織になる前から存在していました。そのアール・ヴィヴァンを立ち上げた芦野公昭氏の私邸で、1982年イノヤマランドは邦人シャンソン歌手Megumi Satsuコンサートのリハーサルを1週間行っています。その後、吉村弘氏とはSPD以外でも一緒に横浜国際総合競技場のための環境音楽制作を行いました。

井上: 1987年の暮れに僕と山下さんはサウンド・プロセス・デザインの田中宗隆さんと出会います。紹介してくれたのは安斎儒理さん。このころのSPDは、各地の美術館、博物館、企業の音環境のデザインやサウンドオブジェの制作などを手がけていました。田中さんから依頼された最初の仕事は1988年4月から奈良市で始まる『なら・シルクロード博覧会』のための環境音楽でした。1988年ごろからは幾つかの音楽製作会社からの依頼で企業PR映像の音楽や店頭ディスプレイ用のCM音楽なども作り始めました。POOL
、AIU、DOME-MOODはそのころに生まれた作品です。SPDからも全国の博物館や美術館、大型商業施設や博覧会場などの環境音楽製作の仕事が連続して入るようになりました。その度に僕と山下さんはSPDの田中さんが用意した工事現場用のヘルメットを被って建設中の現場に潜入し、ドリルやハンマーの騒音の中で様々な音楽の構想を練ってきました。1990年に大阪で開催された国際花と緑の博覧会EXPO’90の大温室『咲くやこの花館』は博覧会終了後も存続され、当時イノヤマランドが作曲した館内音楽を今でも聴くことができます。しかしSPDで製作した他の多くの環境音楽は、施設側の事情や開催期間の終了などで次々と聴けなくなっています。安斎さんはこれらを作品として残したいと考え、1997年にSPDの中にCDレーベルを立ち上げ、Crescentと名付けました。そのレーベルの第1弾が『INOYAMALAND』です。


Music for Myxomycetes was composed for an exhibit on slime molds at the National Museum of Nature and Science in Ueno park. How did your involvement in this project come about initially? Do either of you have any background or interest in mycology?

『Music for Myxomycetes』は上野の自然科学博物館の展覧会用に作られたとありますが、このプロジェクトにそもそも関わるきっかけは? 二人のどちらかに菌類への関心があったのでしょうか?

山下:日本変形菌研究会(Japanese Society of Myxomycetology)の会員で、南方熊楠(みなかた くまぐす 日本の博物学者)研究家としても著名な郷間秀夫(ごうま ひでお)さんから依頼されました。山下は80年代中頃、熊楠への興味から変形菌を知り、同会に入会、郷間さんと知り合います。(ちなみに郷間さんはクラフトワーク等のテクノ系の大コレクターで、会員名簿から僕の名前を見つけ、もしや元ヒカシューの山下さんですか?との手紙を受け取り、以来の付き合いです)当時、出来上がった作品の試聴に湯河原の自宅まで来て頂きましたし、展示終了後にCD作品にできないか?と誘って頂いたのも郷間さんです。


I see the liner notes to Myxomycetes quote Kumagusu:“There is a universe contained within the cosmos、encompassed within the inexhaustible,unknowable universe. For instance, with a single microscope, one may endlessly enjoy observing an entire existence.” Is Kumagusu also an inspiration for your work as Inoyama Land?

変形菌のブックレットにある下記の引用はどういう考えで使われたのでしょうか?

「無尽無究の大宇宙の大宇宙のまだ大宇宙を包蔵する大宇宙を、たとえば顕微鏡一台買うてだに一生見て楽しむところ尽きず。」南方熊楠もあなたたちイノヤマランドにとってインスピレーションであったのでしょうか?

山下:熊楠は顕微鏡の先に見える変形菌の胞子の動きに宇宙の真理を見た、と云われています。日本での変形菌研究の始祖としての熊楠が発した有名な一文なので引用しました。

井上:この言葉をチョイスしたのは郷間秀夫氏です。彼は南方熊楠研究家であると同時に、ジョン・ケージ以降のサウンド・アート・シーンのアーティストにも明るい人なので、ミニマル・ミュージックと禅思想の関連についてのニュアンスも絡めてのチョイスだと思います。


The selections here from the album Heart where composed for the opening of the Kankaku Museum in Ōsaki, Miyagi prefecture. What did this performance consist of? The museum itself allows visitors to explore all 5 senses through a series of installations – were there non-auditory aspects to the performance as well?

「Heart」からの選曲は、大崎市の感覚ミュージアムのオープニングにあわせて作曲されましたが、当時どんなパフォーマンスがあったのでしょうか? 感覚ミュージアムは一連のインスタレーションを通じて訪れた人が五感を解放するというミュージアムのようですが、音楽以外のパフォーマンスも行われましたか?

山下:この日は、音具作家・多田広巳(ただひろみ)氏の指導によるオリジナル音具制作のワークショップが開かれ、ワークショップに参加した地元の子供達や大人の方が自分でつくった音具やオブジェを鳴らして、コンサート第一部に参加しました。別の場所では、関口孝氏のグループが公開レコーディングも行なっています。コンサート第二部は、感覚ミュージアムの環境音楽を担当したイノヤマランドと関口孝氏のグループが一緒になり、ミュージアム近くの江合川の河原で開催されました。アルバムHeartのTrack17(Open Heart.本アルバム未収録)では多田さんがイノヤマランドの演奏に参加しています。


How did you become involved in Richard Foreman's Egyptology? What was the set up of the performance like – were you performing the pieces live? Did you have any knowledge or interest in his Ontological-Hysteric Theater prior to working on Egyptology?

リチャード・フォアマンのエジプトロジーへの参加のきっかけは? どのようなセット・アップで演奏しましたか?(ライブ演奏?) エジプトロジーを作る以前から、オントロジカル・ヒステリック・シアターを知っていて、また関心を持っていましたか?

山下:演出家の巻上公一氏からの依頼です。舞台セットに楽器を仕込み、ライブ演奏をしました。この依頼以前、オントロジカル・ヒステリック・シアターの事は知りませんでした。

井上:1992年にNYで『マインドキング』を観劇し、リチャード・フォアマン氏の舞台に関心を持った巻上公一氏は、ジョン・ゾーン氏の紹介でリチャード・フォアマン氏と面会し、1995年に『マインドキング』の日本公演をプロデュースしました。イノヤマランドは1999年の秋に巻上氏から『エジプトロジー』の舞台音楽を依頼され、同年暮の『エジプトロジー』リーディングからプロジェクトに参加しました。







Liberationの紹介記事

2019年9月20日付の仏語新聞Liberationウェブ版にCommissionsのクリティークが掲載されました。その訳です。

https://next.liberation.fr/musique/2019/09/20/de-liam-gallagher-a-inoyama-land-cinq-sons-de-sortie-ce-vendredi_1751704?utm_medium=Social&utm_source=Facebook&fbclid=IwAR1z5Vz6CNJtN852xDWpZD29KjwyAfiOc6rwDTcT8Athw5Iyy4QTiaJlOQo#Echobox=1568956047

 ポストパンクのヒカシューの元メンバー、井上誠と山下康からなるイノヤマランドは日本のアンビエントのパイオニアだ。西東京のこのユニットは、少なくとも一枚は「古典」と言ってよい作品を発表した大いなる功績がある。1983年に細野晴臣のスタジオで録音された彼らのデビューアルバム『ダンジンダン・ポジドン』だ。同アルバム発表後、2人の才能あるミュージシャンは、彼らの謂う「環境」音楽に没頭していくことになる。すなわち、個別の具体的な場のために構想され、作曲された音楽である。

 日本以外では初のリリースとなる本作には70年代末から2000年までに発表された様々な場のための音楽16曲が収録された。宮城にある博物館、科学博物館での変形菌のエクスポ、リチャード・フォアマンの舞台、などである。

 カリヨンとエレベーター・ミュージックのあいだにあって、本作は、優れて綜合的かつ非時間的、逆行的なものであり、80年代日本の環境派に典型的なものとなっており、それ故に、その心地良さは絶対的だ。

とりわけ、地下鉄の喧騒や詰め込み過ぎのポップ・ミュージックに疲れ果てた現代の耳には、深い喜びをもたらすに違いない。






Inoyama Land Share the Stories Behind Commissions, a Collection of Rare Material From 1977-2000


ミネアポリス発信のアンダーグラウンド・カルチャー系ウェブマガジン

Self-TItled

http://www.self-titledmag.com/inoyama-land-feature-commisions-stream/

にCommissionsに関する記事が掲載されました。


Commissionsは、INOYAMA LANDが1978年から2000年にかけてレコーディングした作品を納めた4枚のアルバム、『INOYAMALAND』『Music for Myxomycetes』『Egyptology』『Heart』から選曲されました。

INOYAMALANDの2ndアルバム『INOYAMALAND』は、1997年に環境音楽制作会社SOUND PROCESS DESIGNのレーベルCRESCENTよりリリースされました。そのアルバムに収録した曲は、美術展のサウンド・インスタレーション、公園の噴水や大温室、テーマパークのおとぎ列車、化粧品や自動車タイヤのCM、などのために作られましたが、例外的にGarasudama(4)とKodama(10)は純粋な音遊びの記録として作品化しました。録音は1985年です。

『Music for Myxomycetes』は20世紀の終わりに手がけた環境音楽と、完成しなかった幻の3rdアルバムのための録音が母体となっています。

Candy Floss(12)とCandy(15)は1997年から1998年にかけて上野の国立科学博物館で開催された「変形菌の世界」企画展の館内環境音楽の一部です。その音楽は多様な形態と色彩を持った変形菌の生態を写した神秘的な写真や、湿った落ち葉に覆われた薄暗い森の大地を模したジオラマなどの周囲で、目を凝らさないと見えてこない粘菌のように、極めて小さな音量で再生されました。

Hair Air(1)とBananatron(7)は、本来3rdアルバム『Revisited』に収録する予定で録りためていた曲でしたが、そのアルバムは完成することなく、一部の曲が『Music for Myxomycetes』の構成曲としてミックスされていました。今回、Commissionsへの収録のために、この2曲を『Revisited』のマスターテープから直接ダビングしました。

Morn(9)もこのアルバムからの選曲ですが、本来は1978年に制作された前衛劇『COLLECTING NET』のために作曲した曲のひとつです。この芝居はINOYAMALANDのメンバー井上誠と山下康が巻上公一のプロデュースによって共同で音楽制作を始めた最初の仕事でした。このパフォーマンスは1974年に巻上が在籍していたロンドンのExperimental theater company であるLumiere & Sonの手法に強い影響を受けています。1983年にはその構成曲のいくつかをアナログシンセサイザーで再演奏し、INOYAMALANDの1stアルバム『DANZINDAN-POJIDON』(細野晴臣プロデュース)としてリリースしました。

『heart』は、2000年に宮城県にオープンした『感覚ミュージアム』のための環境音楽を再構成したものです。『感覚ミュージアム』とは視覚・聴覚・嗅覚・触覚といった、私たちの持っている”感覚”をテーマとする体感型ミュージアムです。館内はいくつものゾーンに仕切られていて、来訪者はそれぞれのゾーンで、光に包まれて中空を歩き、地底湖のかすかな水音を聞き、半月形に解放された回廊に立ち込めるミストを浴び、素朴な織物や和紙などの触感を知り、香りだけをヒントに架空の果樹園をイメージします。これらは作曲時の初期設定です。今現在、どのゾーンでどの曲が使用されているのかは、実際にミュージアムを訪れて探してみてください。

そのアルバムからはCycle(2)、Skyfish(6)、Fairy Tale(8) の3曲が選曲されました。これらの曲は、実際にはもっと音と音の空間を広げて再生されました。なぜなら、これらは音楽として聴かれるのではなく、空間全体に広がる架空の自然音として無意識下で感知されるようにデザインしたからです。ゾーン内に巧妙に隠された複数のスピーカーから時折流れ出すこれらの音響は、来訪者のSemicircular canalsをこっそりとくすぐりました。

『Egyptology』は2000年に巻上のプロデュースで上演されたRichard Foreman作の前衛劇”Egyptology (My Head Was a Sledgehammer),”のための舞台音楽集です。曲名はすべて戯曲の一節を日本語訳した際の発音から採られています。この戯曲には台詞とト書きの区分けが一切なく、まるでメモのような言葉の集積の、どこに音楽を当てるのかを探ることから作業は始まりました。

INOYAMALANDはSoushiyou To Shiteiru(3)、Aa Egypto(5)、Ougon No Sara(11)、WatashikaraUbawanaide(13) 、 Anatano Yushoku No Tameni(14)、Sekai No Owari(16) を含む26曲をこの戯曲の舞台公演のために作曲し、エジプト風に装飾された舞台の隅に楽器をセットし、俳優たちの演技に合わせて演奏しました。(2019年9月 井上誠)










The Outline インタビュー

2019年3月中旬にニューヨーク発信のウェブマガジン The Outlineにイノヤマランドのインタビューが掲載されました。

これは同年2月にLighit in the atticからリリースされた‘Kankyo Ongaku’に関連した記事です。

How does it feel to be part of the Kankyo Ongaku collection?

『環境音楽』のコンピレーションの一部になることについてどう思いますか?

井上「ここに収められている作品は、それぞれ異なる目的のために作られ、異なる嗜好を持つ鑑賞者に聞かれてきました。それらが一同に並べられたことで、これまで気づかなかった「音楽そのもの」の共通性と特異性を理解することができました。その中に自分の作品が入ったことで、当時の自分の立脚点を再認識できたような気がしています。」

山下「このアルバムの端に座る事ができて、とても嬉しく感じています。」


Is it strange being recognized for a song you recorded 36 years ago?

36年前に録音した曲が今になって注目されるとは、変な気分になりますか?

井上「不思議に聞こえるかもしれませんが、36年前に作った作品も、昨日作った作品も、今現在の自分の意識と等しい距離にあると感じています。異なる色の引き出しに未整理のまま放り込まれている作品、それを時々誰かがどこかの引き出しから取り出して楽しんでくれている。嬉しいことです。」

山下「変なというよりも不思議な気持ちです。一方でやっと注目されたと云う気持ちもあります。」

What first made you interested in making music together?

何がきっかけで二人で音楽をすることになったのですか?

井上「1977年、ロンドンのあるフリンジ・シアターのメンバーが東京で新しいパフォーマンス『COLLECTING NET』を上演したのがきっかけです。このパフォーマンスのために共同で音楽を制作することになり、その後も二人で即興演奏を楽しむようになりました。」  

Who were/are some of your influences?

イノヤマランドに影響を与えた人々は誰ですか?

井上「スタートに大きく関わったのはMAKIGAMI Koichi(HIKASHU)。即興演奏を共に楽しんだのはタブラ奏者のSAKASEGAWA Kenji。イノヤマランドの音楽を理解しサポートしてくれたのはUENO Kouji(作曲家、元ゲルニカ)です。」

山下「Cluster、Kraftwerk、Tangerine Dream。日本のTaj Mahal Travelers*、インドネシアのガムラン音楽、インド音楽等にも影響を受けています。ジャズ, クラッシック, 現代音楽, 映画音楽, イージー・リスニング等、全てのInstrumental musicからの影響を感じています。」

Were Erik Satie and Brian Eno influential to your thinking about music?

Erik SatieやBrian Enoは音楽についての考え方に影響を与えましたか?(この応答は未掲載)

井上「私の敬愛するMaestro、IFUKUBE Akiraは1930年代にErik Satieの“Choses Vues a Droite et a Gauche (sans Lunettes) ”を日本初演しています。私はMaestroから直接、Erik Satieの音楽の価値について学びました。Brian Enoのオブスキュア・レーベルは、それまで音楽ビジネスの都合で分化されていた音楽ジャンルの障壁を取り払い、あらゆる音楽とフラットに接することの大切さに気づかせてくれました。」

山下「もちろん!大きな影響を受けています。」

Did you feel like Inoyama Land were part of a larger movement in the 80’s when you initially recorded “Apple Star”?

“Apple Star”を録音した時、イノヤマランドは何か大きなムーブメントの一部だったと思ってましたか?

井上「その頃はまだ、synthesizerのMultiple recordingは正当な音楽制作方法という認識がなく、正当な音楽制作を行う知識のない私は、synthesizerを独自のシステムでVoltage control(電圧制御の意味です。シンセサイザーのシステムを電圧でコントロールすることをVCと略して、VC oscillator(VCO)、VC filter(VCF)などと呼称します。一般にわかりやすい用語に置き換えてもらっても結構です。)することで、偶然に新しい音の躍動を生みだせることに気づきました。その音を録音すること、それは画家がイマジネーションの断片をスケッチするような個人的な行為で、他人が評価してくれることなど考えられなかった。ムーブメントの一部だとは感じていませんでしたね。」

山下「当時、大きなムーブメントの一部だったとは思ってはいませんでしたが、何かの動きの端っこに座れた感じはありました。」

How do you think the booming economy in 80’s Japan influenced your music?

80年代の日本のバブル経済は作ってる音楽に影響ありましたか?

井上「バブル経済が都市や野山の景観を変えたことで、日々目に入る色彩やフォルムの印象は大きく変化しました。そのことは私の音楽のイマジネーションにも影響を与えていると思います。80年代の終わりごろから、日本各地に博覧会のパビリオン、テーマパーク、博物館、国際競技場などが次々と建設され、それら施設のための環境音楽をイノヤマランドが制作するようになった経緯も、その影響下にあると思います。」

山下「公共施設の音楽の制作依頼が来るようになり、これまでとは違ったスタンスで音楽を作り始めましたが、イノヤマランドの本質は変わる事はありませんでした。むしろ様々な依頼が入る事により未知の扉が開き、それは大きな刺激になりました。」

Do you think your work will continue to be recognized by a larger Western audience?

イノヤマランドの音楽は今後とも海外の人々に評価されると思いますか?

井上「私は日本人であることに自覚的でありたいと考えています。自分の周りのローカルな環境から受ける印象を受け入れ、それが作品に反映されていれば、そのローカルな環境との向き合い方自体がグローバルなつながりをもたらしてくれると信じています。」

山下「分かりませんが、今後どのように評価されるのかについては、とても興味があります。」

Are you all still making music? If so, what are you working on now?

今でも音楽を作ってますか?もしそうなら、どんな音楽を作ってますか?

井上「今の私達は、次の世代、そのまた次の世代に、私達の好きな音楽の価値を伝えることに興味を持っています。だから私たちが今作っている音楽は、今まで以上に私達自身の音楽的な嗜好に忠実でありたいと考えている。その音楽を構成するアイデアは、昨日考えたものも、36年前に考えたものも、同じようにつながり、変形し、新しい表情を見せてくれています。」

山下「もちろん今でも音楽を作っています。ライブも続けています。イノヤマランドを結成した41年前と何一つ変わっていません。」

The Outlineに掲載された写真。1983年にアルファレコードのAスタジオで1stアルバム『DANZINDAN-POJIDON』の制作作業を行う山下康とプロデューサーの細野晴臣氏。









イノヤマランド in 湯河原

1998年、音楽雑誌MARQUEE のvol.8に掲載された記事です。インタビューと編集は小暮秀夫さんでした。


ヒカシューのキーポード奏者であった井上誠と山下康。つまり“イノ”と“ヤマ”が出会ってイノヤマランド。今年も怒涛のペースでリリースをし続けるトランソニックの中で、おそらく現在最も重要な意味を持っている作品は、彼らの最新3rdアルバムと、テクノポップ・バンドのヒカシューが生まれる前にほんの短期間だけ存在した即興音楽集団時代のヒカシュー (つまりプレ・ヒカシュー )の貴重なライヴCDだろう。

制作時期にはかなり時間の隔たりがあるものの、両作品に共通しているのは、ノイやクラスターがトータスやマウス・オン・マーズと同じ地平で“純粋に音として”楽しめるようになった今だからこそ、その面白さや自由さが満喫できる作品なのだという事実。そして、それを裏付けるかのように井上誠も山下康も当時やたらと難解に論じられがちだったジャーマン・ロックに四畳半フォーク的楽しさ……つまり、道端で歌っていたことがそのまま作品になってしまようなお手軽さや、形式にとらわれない自由さに魅せられていた(そして今も魅せられている)人たちである。で、まさにこれって、今という時代にストライクな姿勢。だからラウンジ・エレクトロニカとも、透明水彩音響とも、郷愁電子音響とも、何でも自由に形容できるイノヤマランドのポップな電子音響作品がこうして98年の夏に“音楽を本当に風通し良く、感覚的に自由に楽しんでいる"トランソニックから出るのは自然な流れだし、ひたすら気持ち良い音が自動書記のように綴られるプレ・ヒカシューのライヴ音源の初CD化にしても、これまた当然のことながらノスタルジーという地層の中から化石を発掘する行為にもなってはいない。むしろ、いわゆる音響系とか呼ばれる人達の新作を聴くのと同感覚で楽しむことが可能な作品とでも言おうか。さすが、湯河原系……って、勿論そんなジャンルはないんだけどさ。

I:井上誠

Y:山下康

ヒカシュー以前

Y:僕が黙示体って劇団で音楽監督やってた時に巻上(公ー)くんが役者として出たんですよ。で、その時にお芝居の中の歌のカラオケを作ることになって、巻上くんが「僕の友達でシンセサイザーやメロトロンを持っている奴がいるから」ということで紹介されたのが彼(井上誠)なんです。黙示体はアングラが盛んな頃に無数に出てきた劇団のうちの一つで、その頂点にあったのが天井桟敷とか状況劇場。

I:76年の暮れくらいだね。なんか、打ち上げがえらく寒かったというのを覚えているから。(黙示体は)むしろひところのアングラよりはダイアローグを大切にしていて、その後に出てくる小劇場系とかの先駆けみたいな。音楽でイーノとか使ってたよね。

Y:ブライアン・イーノとかタンジェリン・ドリームとか。あの頃は比較的あそこらへんを(劇中音として)使うのが多かったんじゃないですかね。

I:芝居もそうですし、暗黒舞踏系の人達もこぞって使ってましたね。だから暗黒舞踏とか観に行くと、(その類いの)新曲がいっぱい聴けるんです(笑)。

Y:そこらへんで選曲のいい劇団とかは評価が高かったよね(笑)。

I:そういう状況の中で音楽を作っていこうって流れになっていくんで、(作るのも)わりと自然にそういう類いの音楽になっていったんです。

―井上さんは東京キッド・ブラザーズで音響/演出助手だったんですよね?

I:僕が中学1年ぐらいの時に「ヘアー」って芝居があったんですけと、それが69年ぐらいですかね。僕の頭は坊主頭だったんだけど、それを観て気分はすっかりヒッピーになっちゃって(笑)、それをずっとひきずってたら日本にもそういう劇団があることを知ったんです。天井棧敷とか、さらにロック色の強い東京キッドブラザーズとか。その中で東京キッドは劇中歌がやたらかっこいいわけなんですよ。それを作っていたのが下田逸郎って人で、「この人はどんな人なんだろう?」って思ってたら、『遺言歌』ってアルバムが出たんですね。それがものすごいショックで、僕の中ではすごい強い位置にあるアルバムなんだけど、その下田逸郎のいる東京キッドになんとしてでも参加しなきゃってことで、高校1年の時に巻上くんと家出をしてキッドの事務所に行ったんです。で、17歳の時かな、学校を1年間休学してキッドのニューヨークとロンドンの公演についていったことがあるんですけど、ロンドンでキッドが空中分解しちゃうんですよ。その時に、以前キッドがロンドン公演をした時にそのままロンドンに住みついちゃった楠原さんって人がやってるルミエール&サンって劇団に巻上くんか客演するようになったんですけど、その劇団はピンク・フロイドのロジャー・ウォータースがスポンサーの一人だったりとか、そういう類いのミュージシャンとの交流がやたらとあったんです。それでピンク・フロイドとかロバート・ワイアット周辺の人達の音楽情報が毎日色々な形で入ってくるようになって、意識的にそういう音楽に目を向けるようになりましたね。

プレ・ヒカシュー

I:77年の秋に巻上くんが「コレクティング・ネット」っていう芝居をプランニングして、その劇中で使う音楽を全部自分たちで作ろうってことになったんです。それで8月に巻上くんの知り合いの人の家に楽器を持ち込んでまったくの即興演奏で作ったんですけど、そこでイノヤマランドのlstに入っている曲のいくつかの形態は出来てましたね。で、さっそくそれを「コレクティング・ネット」で使い込んでいったんですけと、それっきりにしちゃうんじゃもったいないってことで、その時にギターを弾いてくれた藤本光太郎さん(註・東京キッドブラザースのバンマスだった人)の家まで楽器を全部運び込んで録音し直したんです。

Y:それを録音している最中にタブラを叩く逆瀬川健治くんって人と知り合って、録音が終わったところでなんとなく3人でプレ・ヒカシューみたいなものを始めたんじゃないかな。

I:だから作品として今のイノヤマのようなものを作ったというのは、そこで一旦止まっちゃうんですよ。で、その後にインプロにあけくれる日々がしばらく続いて、11月に多摩美のライヴに呼んでもらったり(註・これがヒカシューという名前で登場した最初のライヴ)、それを観た人達が声をかけてくれたライブに出たりとかしているうちに「じゃあ、自分たちでコンサートやろうか」ってことになって、天井棧敷館をおさえて78年4月にやったのが天井棧敷館ライヴなんです。それで実質上のテビュー・コンサートであるそれが僕らが思っていた以上に面白いものができたんで、もっと面白くしようってことで欲が出ちゃったのね。7月に吉祥寺の羅宇屋ってお店で2回目のライヴをやったんだけと、その時にはもうメンバーの気持ちがバラバラになっちゃってて。そうしたら、巻上くんが「じゃあニューウェーヴっぽいものをやってみようか」って話になったんで、それでわずか1週間くらいの練習でみなさんが知ってるヒカシューの形態に衣替えしちゃったんです。だから羅宇屋のライヴでヒカシュー(つまりプレ・ヒカシュー)は終わりで、今回のCDに入っているアートシアター・宿のライヴは僕と山下さんだけでやったシンセのインプロ・ライヴなんですよ。

Y:天井桟敷館でライヴをやる時は、『ぴあ』に情報を載せてもらうために資料を持っていきましたよ。その時に資料用に色々な写真を撮ったんだけど、畳の部屋にマイクを立てて『クラスター&イーノ』のジャケットのパクリをやったりして(笑)。なんとも情けない写真になっちゃったけど(笑)。

―それにしても、なぜ今プレ・ヒカシュー時代の音源をリリースする気になったんですか?

Y:まず、天井棧敷館でやった時の音源がいい状態で残っていたってのが大きいですよね。(リリースするのは)何年も前から考えていたけど。

I:それまで僕も山下さんもいわゆるアングラと呼ばれていた世界に長くいたんですけど、そういう人達って、「気持ち悪い」とか「政治的なアレを持っているんじゃないか」とか色々なフィルターで外から見られるんだけど、実際はただ面白いことを自分の好きなようにやっている人達の集まりなんですよ。それで、僕たちもそれと同じように音楽をとらえていたんです。

Y:あの当時、もしプレ・ヒカシューが(作品として)出ていたら、解説・間章とか(笑)。そういう時代でしたよね。

ダンジンダン・ポジドン(83年)

Y:僕がヒカシューにいた頃から彼とイノヤマランド的な音を作る仕事を結構していたんですよ。TBSのラジオ番組の音楽とか。名称はヒカシューなんですけど、実際にその音を作っているのは彼と僕の2人っていう仕事がヒカシューっていうバンドの形態と並行してあったんです。で、僕はその後ヒカシューを辞めちゃうんですけど、彼との(2人の)ヒカシュー名義の仕事は続いていて、そんな時に今まで作った音源をまとめてみようって作り始めたんです。

I:で、作り始めて最初に聴かせたのが(当時ゲルニカをやっていた)上野耕路くん。そうしたら彼がすごく興味を持ってくれて、「これはぜひレコードにしようよ」みたいなことを言ってくれて、すぐに(当時ゲルニカが所属していたYENレーベルを主宰していた)細野晴臣さんに持っていってくれたのかな。で、トントン拍子でレコードを出す話が決まったんで、急遽アルバム1枚分作ったんです。だから「ダンジンダン・ポジドン」に入っていた曲の半分くらいは「コレクティング・ネット」のために書いた曲とかをすべてシンセで作り直したものなんです。

ーイノヤマランドっていう名前はいつ頃つけたんですか?

I:それは『ダンジンダン・ポジドン』のジャケットをどうしようかなって頃に急遽決めたんです。「ヒカシューってわけにはいかないし、どうしよう……」って。

INOYAMALAND(97年)

1:80年代後期ってのはシンセが過渡期で、デジタルが出てきてアナログか駆逐されて……って時期だったんで、何がい

い音で何が悪い音なのかも見失っちゃった時期があったんですよ。それで色々アレンジを変えたり音色を変えたりしながら何度も何度も録り直すんだけど、しっくりこない。それでどんどんデッドストックしていっちゃうってのか続きました。

そのへんのデッドストックを一挙に放出したのが「INOYAMALAND」って2ndです。

Y:そのデッドストックがかなり集まった段階で僕がこっち(湯河原)に引っ越してくるんですよ。そうすると時間ができますよね。じゃあイノヤマランドの今まであったデッドストックを全部リメイクしようって、1年ぐらいかけて(後に2ndに入ることになる)曲を全部録り直すんですよ。

I:だからすべての曲に、あの当時の最新の機材を使った別テイクが存在するんですよ。でも、作り終えた時点で何か吹っ切れたんです。それぞれの曲を最初に録った時のテイクのままで出すほうがかえって面白いんじゃないか、って。だからスケッチのような、非常に音質の悪いものもありますけどね。そんなことやってたんで、膨大な時間がかかったっていう(笑)。あと、永田(一直)さんのような世代の人達が昔のアナログ・シンセとかそういう器材に色々な解釈をしてくれて、そういうところからインスパイアされてきたところもありましたよ、イノヤマランドの2ndは。

Y:あれが3年くらい前だったら出せなかったでしょうね。

永田:微妙ですね。

MUSIC FOR MYXOMYCETES(98年)

Y:ちょうど「ダンジンダン・ポジドン」を出した直後くらいに音楽に対する興味が一気に衰退しちゃって、レコードもピタッと買わなくなって、音楽そのものに興味がまったくなくなっちゃうんですよね。それで博物学とか植物とかってほうに興味が行っちゃって、その時に変形菌に興味を持って、研究会に入るんです。そうすると、会員の中にヒカシューのファンがいたりして、なかなか逃れられない(笑)。ただ、そこらへんから話が来るっていうのは、どっかで結びついているのかなって思いますけどね。(註・イノヤマランドの最新アルバムは、97年から98年にかけて上野の国立科学博物館で開催された「変形菌の世界」企画展の館内音楽をCD用に再編集したもの)。